「妄想」という病気をうまく鎮める大原則 否定も肯定もしない「第3の方法」

「妄想」という病気をうまく鎮める大原則
否定も肯定もしない「第3の方法」
PRESIDENT Online
2018/01/19 15:00

原 富英
国際医療福祉大学 福岡保健医療学部 精神医学教授

 

「妄想」は精神科の代表的な症状のひとつです。精神医学では「訂正できない誤った信念」と定義されます。医学書には「患者の妄想を否定してはいけない」と書いてありますが、明らかに誤っている発言を受け流すだけでいいのでしょうか。具体的な対処法について、国際医療福祉大学の原富英教授が解説します――。

 

妄想の臨床には大きな矛盾がある

「妄想」という言葉の意味をご存じでしょうか。最近はテレビ番組でもツッコミ役の人が「それ、お前の妄想ちゃうか?」と言って笑いを取ることがありますから、一般的になっていると感じます。その場合は、夢想や空想と同じ意味で使われているようです。

ただし、妄想は、もともとは精神医学の用語で、無想や空想とは違う意味があります。私は精神科医ですが、妄想は精神科の代表的な症状のひとつです。そして妄想は、なかなか強固で簡単には対処できない症状です。どこが厄介なのか。今回はその点についてお話したいと思います。

 

写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
精神医学で妄想は「訂正できない誤った信念」と定義されます。定義はシンプルなのですが、実際に診断を下すには2つのハードルがあります。


一つ目のハードルは、その信念が「誤っていること」を確認しなければいけないからです。研修医の頃、先輩に「どうやって確認すればいいのですか?」と質問したところ、その先輩は困ったような表情をして「常識で考えたら……」と答えました。

 

その時の話題は「宇宙人」の話でした。宇宙人という言葉がでてくれば、患者さんの信念は「妄想」だと診断できます。ただし、宇宙人の存在を信じている人も多いですよね。

 

荒唐無稽な話も、度を超すと真偽の判定は簡単ではありません。同じく私が研修医だったころ、覚醒剤の常習者だというヤクザの若者が、「人から追われている」といって受診にきました。テレビドラマのような話で、ほとほと診断に困りましたが、後日、組を抜けようとして、本当に追われていたことが判明しました。

 

結局、真偽があやふやな場合は、臨床経験が35年になった今でも、私は常識で判断せざるを得ないと考えています。

 

二つ目のハードルは、訂正できるかどうかです(訂正不可能性の確認)。そのため「それはあなたの考えすぎでしょう」「ありえない話のようですが……」と相手の信念を訂正(否定)することで、反応を見るのです。

 

しかし妄想の治療に関しては、ほとんどの治療書に「妄想は否定してはいけない」と書いてあります。治療的にしてはいけないことを診断過程でせざるを得ない。この矛盾はどうすればいいのでしょうか。

 

妄想を持つ患者さんの苦しみに焦点

私の場合は、「妄想を持つ患者さんの苦しみに焦点を当てる」というアプローチをとります。

 

一般的に、妄想は「被害妄想」がほとんどです。患者さんには、「恐ろしく、怖く、存在が脅かされている(やられる)」という感覚にさいなまれています。このため、この怖さ・苦しみに焦点を当てて診察を進めていくのです。

 

具体的には、「それはお困りですね~」「大変なことが起こって疲れますね~」「フムフム……。ところでそんな時どうされていますか?」など、臨機応変にやり取りをすることが肝心です。

 

診察の方法をまとめると

1)妄想に対しては、決して肯定も否定もしない(肯定もしなくていいのです。肯定すると逆に妄想を強化することもあります)。
2)つらい場面に陥った時、患者さんはどうしているか、いわゆる対処法を尋ねる(このやり取りで治療に利用できるヒントが見つかることもままあります)。
また「それじゃ、神経が疲れてゆっくり眠れませんね。いい薬がありますからゆっくり休んで、その問題にあたりましょうね」といって薬物療法を提案することもあります。成功率は8割前後といったところです。ほとんどの患者さんは薬物療法について素直に同意してくれます。患者さんもそれくらい追い詰められ疲れているのでしょう。

患者さんのご家族も、その愛情がゆえに「そんなことはありえないだろう」と強く何度も否定し続けていることがほとんどのようです。診察に同席している家族も、こうしたアプローチによって、患者さんの表情が少しずつ和らいでいくのを見て、一緒にゆとりを持たれることが多いようです。

初回の面接の目標は、「あの医者(とスタッフ)は、敵ではない」「はじめて私の言っていることを、分かってくれる人に会った」などと感じてもらうことです。一瞬でも逆の感覚を持たれたら、診断は確定しますが、2度と外来には来てくれないでしょう。

おびえている本人を支えることが、基本中の基本の態度と思われます。具体的には、前回述べたように、高齢女性の「物とられ妄想」対して一緒に探すというアプローチもこの大原則にそったものです。

「そりゃ大変だ。なんとか手伝うから解決しようね……」。患者さんの苦しみに焦点をあてつつ支える人こそが、いちばんの薬なのです。

 

3つに大別できる妄想の経過

では今述べたようにアプローチすると、妄想は治るのでしょうか、私の臨床経験からは、経過はおよそ3つに分けられるようです。

まず第1に、上記のアプローチで「私の勘違いかな~」という感じに変化するタイプ。結局これは強い曲解であった可能性が高く、妄想ではないと診断できます。


 曲解とは、「物事や相手の言動などを素直に受け取らないで、ねじまげて解釈すること」で、かなり疑念の強い状態(Suspicious)です。この場合は、結局、妄想状態ではなかった可能性が高いので、曲解しやすい性格傾向の指摘などの別のアプローチをとることになります。

 

第2のタイプは語られた妄想の訂正はできませんが、「最近は相手がもう諦めたようだ」などと、現時点では、(心理的)攻撃はなくなったという言動に変化していくタイプ。この時点で無理やり以前の言動を訂正するのではなく「それはよかったですね」など共感して支持することとなります。回復という観点からは、ほとんどの妄想はこのタイプをとるようです。

 

第3は、妄想が沈潜するタイプ。「妄想は語られねばわからない」という箴言のごとく、語られなくなっていくようです。このタイプは第1のように妄想が消失したか、「この人たちに話しても無駄」との感覚で、妄想は固着しつつ心の中に沈潜しているのかは、結局わかりません。ただし、周囲は、「もう間違ったことを言わなくなった」と安心できます。

 

治ったように見えても、結局、妄想を訂正できることは少なく、心の奥で静かに眠っているだけのことが多いようです。主治医としては「そのまま眠っていてね」と祈るばかりです。その定義から考えても、訂正できないのが妄想ですし、診断と治療の矛盾や「眠るように沈んでいく」経過から、やはり「妄想は手ごわい」のです。

 

次は「信頼できる精神科医の見つけ方」についてお話します。

原 富英(はら・とみひで)
国際医療福祉大学 福岡保健医療学部 精神医学教授。
1952年佐賀県生まれ。九大法学部を卒業後、精神科医を志し久留米大学医学部を首席で卒業。九州大学病院神経科精神科で研修後、佐賀医科大学精神科助手・講師・その後佐賀県立病院好生館精神科部長を務め、2012年4月より現職。この間佐賀大学医学部臨床教授を併任。